キナブロ

ざっくばらんに書きます

雑談恐怖症と初対面モデル

雑談が苦手な人。そう聞いた時、どんな人物像が思いつくでしょうか。

僕は「人と話すのが苦手(不得手)な人」をはじめに想像しました。自分の考えをうまく言葉にできなかったり、何を話せばいいかわからなかったり。次いで吃音症の人。あとは人間との会話に興味がなくて、数式や楽譜と会話できるタイプの人。ぱっと思いつくのはそれくらいです。人と接すること自体が苦手な場合も、おおまかには「人と話すのが苦手」と言えそうですね。

ステロタイプをあげていくと「会話について disabled / no interest である人」というあたりに集約しそうです。


ところで僕は雑談が苦手です。ずっと苦手意識を持って生きています。雑談は苦痛です。しかし僕は上記の例には当てはまりませんでした。

苦痛の源を探るなかで、「当てはまるはずだ」と思いこんでいたこともあります。ただ、その思い込みは、ある時期にコミュニケーションのワークショップに参加して「人と話すのが苦手な人」を客観的に知ったことで、次第にとけていきました。僕には少なくとも平均的な会話能力があり、会話への興味もあります。

幾度となく、他人に「人と話すのが苦手なんです」と伝えたことがあります。相手はその時の友人だったり上司だったりいろいろです。自分としては本心からそれを伝えるのですが、一貫して「全くそうは思えない」と強めの否定が返ってきます。それを繰り返すうちに「必ず否定されるような自虐を言って自尊心を満たしている」のと区別がつかなく感じて、惨めな気持ちになり、ある時から伝えるのをやめました。

そんな経験から僕が理解したことは「人と話すのが苦手」と「雑談が苦手」は遠縁の事象だとということです。一見すると交叉しそうなこの2つは、そもそも別の集合族にあるっぽいのです。もちろん人と話すのが苦手ならたぶん雑談も苦手なんですが、それはここで語ろうとしている「雑談が苦手」と似た症状をもたらす全く別のものという感じです。


「雑談が苦手」を説明するとき、よく引き合いに出される例があります。

初対面の人や、知り合って間もない人と会話するのは苦労しないが、交友が続くにつれてうまく会話できなくなる。

そりゃ交友が続けば合う人も合わない人も出てくるので、言ってしまえばバーナム効果的に聞こえます。が、僕はこれ、かなり鋭いと思ってます。個人的に初対面モデルって読んでます。

このモデルに対しては、なぜか「それは君の話のストックが少ないから」のような理由を求めたくなります。引き合いに出される場ではたいていその理由が挙げられてます。一見すると辛辣ながら的確な理由にも思えます。

ところがです。少し冷静に考えれば、雑談のトピックはそう簡単に枯渇しないことがわかります。そもそも雑談に話のストックなんて必要ないのです。雑談のトピックなんて、たまたま今飲んでた缶コーヒーの味でも、昨日あまり眠れなかった理由でも、相手に伝わるなら専門的な話でもなんでもいいのです。少なくとも、短期間に使い切れる程度で有限、というのは明らかに直感に反します。

でも現実に、徐々に会話しずらくなっていく。それは事実です。ただし実際に起こっていることは、話題枯渇のような「リソースの制限」ではなく、会話がうまくできなくなるという「行動の制限」そのものだと理解しています。

ちょっと抽象的ですが、交友が続くにつれて「うまく会話ができなくなる」という制限がかかるということです。その制限がどこから来るのかは人によって違う気がします。とりあえず僕個人のケースについて掘り下げてみます。


僕自身は間違いなく「初対面なら話しやすく、その後話しにくくなる」特性を持っています。15歳くらいからずっとそうですね。ちなみに15歳より以前では人見知りのほうが強かった気がします。

ただ、僕は社会生活のなかで「話しにくくなる」という部分を無理やり矯正しました。普通に話せるっぽく装う術を獲得したんですね。なので今は「初対面なら話しやすく、その後に話す時は徐々に死にそうな気分になる」という特性にアップコンバートされています。

その苦痛の根源はぼんやりとですが理解しています。

初対面の時、あるいは出会ってから間もない頃って、自分と相手の関係が他の関係と独立してるんですよね。 例えば今日あなたが僕と初めて会話したとして、僕との会話があなたと僕以外の何かに影響することはほぼ100%ないです。

ところがです。僕とあなたとがこれから何回も合う事になるのであれば、大抵そこには何らかの包括的な対人関係が成立しています。


いくつか具体例を上げてみます。僕とあなたは高校1年生でクラスメートです。周りは知らない人ばっかりで、最初は皆独立した個です。だけど1~2ヶ月もすればだいたいグループが定まります。大抵はクラス全体も包括的なグループとなります。ここに至ってはもはや個どうしの関係は成り立たず、あるグループの一員としての僕とあなたになります*1

次はもう少しリアルな例で、僕とあなたとAさんとBさんの四人は会社員です。それぞれ同業他社に勤めています。そんな僕たちはたまたま勉強会の打ち上げで意気投合しました。そして後日また4人で集まって飲みます。この時点ではまだそれぞれ独立した個です。この会合を月2ペースで続けることになりました*2。しばらくしてAさんの友達のCさんが合流して5人になります。僕は実績ベースだとこのあたりで音信不通になります。

最後にそうならない例です。僕とあなたは登山クラブのメンバーとして出会いました。登山クラブはすでに解散しましたが、僕とあなたは気が合うので友人のままです。僕はこのケースなら会話を重ねても苦痛を感じません。


交友関係やクラスメイトのような、目標を共有しない自然発生的コミュニティは、ある種のゆるやかな合意によって形成されています。それは「お互いここに居ても良いよね」という合意です。

そして、全体として合意を維持し続けるために「ここに居てほしくない人」が発生した場合には、その人を排除する力が働きます。その力はとても強く、ときには暴力的に表現されます。


それはたいてい、些細な感情から始まって、周囲を巻き込んで強大な力へと変わる


面白くない話は端折りますが。おそらく僕の本能は「緩やかな合意に基づく対人関係」の発生を感知して「はやく逃げろ!どうなっても知らんぞ!」と危険信号を出すのだと思います。それが僕の「雑談が苦手」の正体です。

*1:その枠を越えて真の友情を得るみたいなこともままあるとは思いますが、高校生なら。

*2:ここでもし、この会合が半年に1度くらいのゆるさになれば、独立した関係は長く保たれると思います。初対面の半年後が2回目のこんにちはなら何の問題もなさそうです。